押部八幡神社 御遷宮

写真中央/旧社殿は関東大震災で倒壊したため昭和5年(1930)に改築された。
写真右/浅間社の祠    (足立朝日 掲載:2016年10月5日号)

昭和五年に建築された先代の社殿は約九十年の長きに渡り、この地域を見守ってこられ、立派にその役割を果たしていただきましたことに厚くお礼申し上げたいと思います。この間、押部町会も道路や町並みが整備され、立派な街に成長出来ましたことに、お祀りしている誉田別命様も嘸かしお喜びのことと思います。
 令和二年初頭から続く新型コロナウイルスにより、様々な活動や事業に影響を受けたことを大変残念に思っておりますが、隔年で実施しております祭礼がにぎやかに行われることを心待ちにしております。
地域の皆様の心のよりどころである押部八幡様とともに、決意を新たにし皆様が益々ご清祥であることを、心よりご祈念申し上げます。

さて、押部八幡神社の創建年代は不詳ですが、鹿浜村小名押部の鎮守社として祀られていたといいます。
足立朝日によりますと、祭神は 譽田別尊(ほんだわけのみこと)で、寛延元年(1748)に横田源右衛門政信という人物の発案で、勧請したと伝えられています。
 同社には、明治41年(1908)に鯨を生け捕りにした珍しい絵馬が残されています。その絵馬には「明治41年3月28日の午前7時ごろ、吉田勘治郎が船で下流に漕いでいたら、千住大橋の上流の深瀬に水を吹き上げながら鯨が現れた。人を飲み込もうとする程に大口を開ける鯨に驚き、竹棹で格闘の末に生け捕りに成功。千住大橋際に引き揚げられた鯨は長さ1丈9身6尺。各新聞社も駆けつけ、5日間人々に見せた後に佃浜へと贈った」といった内容が記されており、歴史を感じさせる貴重な絵馬です。この絵馬は8月下旬に行われる祭礼日の際に社殿の扉が開かれるので、その時に見ることができます。
 その他にも境内には、イチョウやケヤキなどの保存樹のほか、社殿の左隣には小さな浅間社の祠が建っています。
(足立朝日 掲載:2016年10月5日号)